スパイラル:ソウ オールリセット / ダーレン・リン・バウズマン

 無職でヒマだったので観た。

 叙述トリックを使った作品を紹介するときに「この作品は叙述トリックだ」と言ってしまうと既にネタバレを喰らうのと同様に、ソウシリーズを観るときには「ドンデン返しのプロットを作ろうとしている」というのが明らかなので、いい加減そういう自縄自縛をどうにかしたらどうだろうと思うのだが、未だに続けているのはそれを期待している観客がおり、実際儲かるからなのだろう。

 このシリーズを初めて観るのであればそれなりのどんでん返しになっているような気もするが、そうでなければいつものように、シリーズを重ねるにつれどんどん納得感の失われていく奇妙な殺人ピタゴラスイッチと、より納得感のないストーリーのナンバリングタイトルを観せられるだけだ。

 シリーズ通して追いかけている身としてはどうしても惰性で観てしまうが、率直に言って観るに値するのは1、2、頑張って3までだろう(当時3からクソ映画化が始まったと思っていたが、今観るとその後のシリーズが酷すぎて相対的にマシに見える)。

 正直もっとも驚いたのはストーリーなどではなく、マジシャンのクリス・ラムゼイが出演していたことで、思わず巻き戻しで確認した後ネットで調べてしまった。

ホムンクルス / 清水崇

  僕は基本的に漫画というものをほとんど持っていないが、この山本英夫の『ホムンクルス』だけは所有していて、引っ越しの際にもほとんど迷わず持って行くことにしているくらい好きな漫画だったりする。

 そんなわけでこの漫画が実写化されたとネットで知ったときは狂喜乱舞したのだが、実際に観てみるといささかの残念さを伴う出来で、正直がっかりしたというのが本音ではある。

 綾野剛の名越進など他が想像つかないくらい違和感がなく、成田凌の伊藤学もチャラい感じはしたもののかなりハマっていてよかった。ななこ役の岸井ゆきのにしてもイメージからそう遠くなく、キャスティングや映画の全体的なヴィジュアルは全く悪くないどころか個人的には完璧に近いと思った。実際、原作をほとんどまるまる再現したような前半パートはすげえと思いながら観ていたのだが、ななこが出てきてからが全く面白くないのだ。それはキャストの問題でなく単純に脚本の問題で、短時間にまとめる為には当然原作を改変せざるを得ないわけだが、個人的に残念なのはそもそも原作とこの映画の結末がほぼ真逆に近いことだ。

 ネタバレをする。この映画の名越(綾野剛)はラストで伊藤(成田凌)にこう述べる。「俺たちは誰かに見て欲しいあまりに他人を見なかった、他人を見ればそこから世界が広がる」。

 それに対して原作の結末はだいぶ異なっている。名越は他者のホムンクルスを見続けることによって自分以外の全ての他者の中に自己を見出してしまい、他者と自己との境界線を見失うことで、世界のありとあらゆる他者が自己として認識されるようになる。名越は伊藤に「もう誰かを見るのは疲れた、俺を見てくれ」と言いながら伊藤をトレパネーションしようとする。それはこの映画版のセリフとはまったく正反対の結末である。

 繰り返すが配役や音楽が醸し出すアトモスフィアや、映画そのもののヴィジュアルはほとんど完璧に近いと思っている。ただ肝心のお話がいまいちなのがひたすら残念だったという他ない。原作を読まないほうがむしろ楽しめる映画ではある。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| / 庵野秀明

 個人的な感想を書く。

 もっと投げっ放しで終わると思っていたのだがちゃんと終わっていた。成熟を拒否しつづけてきた碇シンジが既に大人としての生活を営むトウジやケンスケに助けられながら「他者を救う」ことを自ら選び取り、ゲンドウやアスカを救済することで物語に一応の結論がついていく様は圧巻というか、エヴァシリーズのラストは他にありえないのではないかと鳥肌もので興奮しながら観ていた。

 しかし問題はここからだ。成熟を受け容れた碇シンジが選んだのは単純なビルドゥングス・ロマンではない。肝心の最後で碇シンジ綾波レイを救済するために「全てのエヴァンゲリオン」、ひいては綾波レイの存在しない世界を新たに創造することを選ぶ(それは、これまでのテレビシリーズから新劇場版エヴァに至るまでの、"エヴァンゲリオン"というアニメシリーズそのものの否定に他ならない。それははっきりとわかりやすく描かれる。『さらば、全てのエヴァンゲリオン』というのはそう言う意味だ)。そしてその後、唐突に碇シンジや真希波マリが(ここは旧劇そのものだ)メタフィクション性を強調するように絵コンテで描かれるようになり、最終的には現代版学園エヴァのような真希波とのラストシーンから、実在する"実写の"宇部新川駅を映し出して終わる。

 はて、これは旧劇の変奏に過ぎないのではないか。20年以上前に旧劇で庵野秀明が「お前ら現実に帰れよ、これは単なるアニメだぜ」と語ってみせたのとほとんど同じことであり、結局のところファンの否定に他ならない。違いがあるとすればそれは碇ゲンドウが父であることをかろうじて選び取ろうとすることであり、エヴァンゲリオン庵野秀明のパーソナルな作品であることを思えば、実際に自らが父になったこととおそらく無関係ではない。かつてはオタク達に向けて「現実に帰れ」と述べた庵野秀明が、自らが父となり再び現在もエヴァを追いかけつづけるオタク達に「現実に帰れよ」と述べる。あるとすれば違いはその立場くらいだ。

 もしこれがそのように旧劇のヴァリアントに過ぎないのであれば、一つ的外れなのはもはやエヴァシリーズのファンとしてかつてオタクだった彼らはもうほとんどが同じような「父」なのではないかということだ(もちろんそうでない人もいるだろうが)。そういう彼らがこの映画を観てもほとんどは既に現実を生きているのであり、相変わらずの芸風だなあという感慨くらいしか抱かないのではないか。そしてそもそも仕事や子育てに忙しく新劇場版エヴァなど追いかけていない可能性だってある。

 そしてこのテレビシリーズから旧劇そのものの否定は、このアニメをずっと追い続けているわけではない若いファン達にとっては(意味は伝わるが)最高に不親切であり、「父はいいぜ、現実に帰れよ」というメッセージは的外れそのものだ。あるいは、「現実に帰って真希波マリと恋愛しろよ」と言いたいのだとすれば、それはもはやジジイが若者に向けた単なる説教でしかない。

 とはいえ、まあ実にエヴァンゲリオンらしい完結編だったと思う。一応全て映画館まで足を運んで観ているがさすがに内容を覚えておらず、地上派放映も完全無視で一切復習なしで観にいったのだが内容を把握できるように作られている親切設計ではあった。結末はエヴァシリーズの謎完全解明ではなく、これまでのアニメシリーズ全否定という相変わらずの尖り具合ではあったが。

ジグソウ:ソウ・レガシー / ザ・スピエリッグ・ブラザーズ

 Netflixで観た。

 このシリーズ、3以降はぜんぜん面白くねえなと思いながら一抹の期待と義務感と惰性で観ているため、ほとんど内容を覚えておらずファイナルに至ってはもう観たかどうかすら記憶が曖昧なくらいで、まあいいかと思い見始めたのだが、これは結構いいんじゃなかろうか。

 過去の作品はナンバリングが増えるほどしょうもない内容のものばかりだったという記憶しかないが、今作はまさかの叙述トリックで驚いた。

 フーダニットとして見ればまったく意外性のない結末(いつも通りの"後継者"が紹介されるだけ)だし色々強引ではあるのだが、大オチがよくできた構成になっていてそれなりにやられた感はある。

 とはいえ結局ソウシリーズのファンくらいしか観れたものではないのだが、個人的にはなかなか面白かった。

(ライオンズゲート 2017年 ★★★★☆)

 

 

メニー・リンデンフェルド / オクルターツム

 たまにはマジック商品について。

 もう発売からずいぶん経っており、やや旧聞に属する話になるので恐縮だが、最近になってようやくメニー・リンデンフェルド氏の『オクルターツム』を買ってみた。

 結論から申し上げれば大変賢い原理だった。マジック商品を買っていると何年かに一度くらいは思わず声の出てしまうような巧妙なアイデアに出くわすのだが、これはそういう商品の一つだ。

 この現象で古典の改案というとあれしかないなという感じではあり、まあ買ってみて実際そうだったのだが、これの素晴らしいところはそのクラシカルな方法論では「こうしなければならなかった」という欠点がほぼ完璧に近い形で改善されている点だ。メンタルマジックにおけるニュー・クラシックとはこういうものではないかと思わされたし、同様のエフェクトにおけるピュアな解決法はこれが限界なのではないだろうか。

 既にさまざまなところでレビューされている通り、アイデア料だと考えても少し高い、という評価はわからないでもないのだが、あるアイデアを思いつき、それをここまで拡張してレクチャーしてもらえるという点を考えれば価格はそう高いとは思えなかった。これは「ギミック」ではなく「原理」であって、知っていればいつでもどこでも可能なのだ。新たなアイデアへの応用性への高さもある。

 また、マジック商品において「サイコロジカル」というのは広告的な表現でよく使われるが、これは本当にサイコロジカルな原理を使っている。こういうものを観たのはMax Mavenの『ビデオ・マインド』以来だ。ここ最近で購入したマジック商品ではダントツに蒙を啓かれたものの一つだった。

(Murphysmagic 2018年 ★★★★★)

ジョン・クラシンスキー / クワイエット・プレイス

 年始であまりに暇だったのでレンタルしてきて観た。

 以前Netflixで『バード・ボックス』を観ていたこともあって姿を現さない"何か"に襲われるのだと勝手に思い込んでいたのだが、始まってすぐにエイリアンのような生物が出てきて「えっ」と声が出てしまった。いや、別に大したことではないのだが。

 個人的にはこうした作品(アイデア先行な雰囲気の映画)の細部の齟齬や矛盾のようなものはまあどうでもいいじゃんと流せるタイプなのだが、殊にこの作品に関しては「あの音が聞こえてこれが聞こえないのはなぜか」という作品の根幹を成すルールが極めて不明瞭なのでかなり気になってしまった。

 そもそもエイリアンなので特殊な可聴域をしているのだ、ということにしてしまえば何でもアリなのかもしれないが。

 一時間半ボーッと観ている分にはまあまあ面白かったが、大半の観客は「ハナッから銃で殺しとけや」と心の中で突っ込んでいたんではなかろうか。いや、好意的に解釈すればあれやらないと装甲が硬すぎて銃が効かないとかそういう設定なのかもしれないが、あれで死ぬ生物(たった三匹)が世界中を混乱に陥れられるとは到底……

パラマウント 2018年 ★★★☆☆)

伴名練 / なめらかな世界と、その敵

 書店で装丁を見てたぶん面白いんだろうなと思って買ってみたが、やはり面白かった。こんなこと言いたくないのだがかつて大学の頃に夢中になって読んだ伊藤計劃と読後感がほとんど同じで、なんだかとても懐かしい気持ちになった。具体的に何が似ているのかと問われれば答えられないのだが。

 個人的にもっともよかったのは『美亜羽に贈る拳銃』。伊藤計劃の『ハーモニー』を読んだのなんてもう10年近く昔なのでどの辺がトリビュートなのだかさっぱりわからないのだが、ラブストーリーとして普通に面白く読んだ。

 表題作の『なめらかな世界と、その敵』はいきなりとっつきにくい描写が続くので少し面食らったのだが、物語が結末に収束していくにつれシンプル極まりないテーマであることが明らかになっていく。個人的には好きな物語なのだが『世界』の方は『なめらか』で、その前提を共有できない私たち、という設定は神経症的だなあと思ったのも確かで、若い頃は確かにそういう風に世界を見ていたような気がするが、しかし歳を取った今では実のところ世界の方も全くなめらかではないのだよなあとも思ってしまう。まあこれは青春の一回性を際立たせるためのギミックの話でしかないのでどうでもいいのだが。

 逆にまったく面白くなかったのは『ゼロ年代の臨界点』。冒頭から延々と"偽史"(実際の何かに基づいている?)をべらべらまくし立てられても全然理解する気になれず、ずっと目が文字の上を滑っていた。

(2019年 早川書房 ★★★★☆)