ホムンクルス / 清水崇

  僕は基本的に漫画というものをほとんど持っていないが、この山本英夫の『ホムンクルス』だけは所有していて、引っ越しの際にもほとんど迷わず持って行くことにしているくらい好きな漫画だったりする。

 そんなわけでこの漫画が実写化されたとネットで知ったときは狂喜乱舞したのだが、実際に観てみるといささかの残念さを伴う出来で、正直がっかりしたというのが本音ではある。

 綾野剛の名越進など他が想像つかないくらい違和感がなく、成田凌の伊藤学もチャラい感じはしたもののかなりハマっていてよかった。ななこ役の岸井ゆきのにしてもイメージからそう遠くなく、キャスティングや映画の全体的なヴィジュアルは全く悪くないどころか個人的には完璧に近いと思った。実際、原作をほとんどまるまる再現したような前半パートはすげえと思いながら観ていたのだが、ななこが出てきてからが全く面白くないのだ。それはキャストの問題でなく単純に脚本の問題で、短時間にまとめる為には当然原作を改変せざるを得ないわけだが、個人的に残念なのはそもそも原作とこの映画の結末がほぼ真逆に近いことだ。

 ネタバレをする。この映画の名越(綾野剛)はラストで伊藤(成田凌)にこう述べる。「俺たちは誰かに見て欲しいあまりに他人を見なかった、他人を見ればそこから世界が広がる」。

 それに対して原作の結末はだいぶ異なっている。名越は他者のホムンクルスを見続けることによって自分以外の全ての他者の中に自己を見出してしまい、他者と自己との境界線を見失うことで、世界のありとあらゆる他者が自己として認識されるようになる。名越は伊藤に「もう誰かを見るのは疲れた、俺を見てくれ」と言いながら伊藤をトレパネーションしようとする。それはこの映画版のセリフとはまったく正反対の結末である。

 繰り返すが配役や音楽が醸し出すアトモスフィアや、映画そのもののヴィジュアルはほとんど完璧に近いと思っている。ただ肝心のお話がいまいちなのがひたすら残念だったという他ない。原作を読まないほうがむしろ楽しめる映画ではある。