中田考 / みんなちがって、みんなダメ

 書店で刺激的なタイトルに惹かれて面白そうだなと思い手に取った本。ところどころで蒙を啓かれる部分も多かったが、読み終えてみてあんまり愉快な本ではなかったことは確か。

 たとえば社会そのものに満遍なく西洋近代思想のイデオロギーが浸透しており、それによって教育されている我々はバカ化され洗脳されているのだと著者は言うわけだけれど、でもいくらそうした価値観を逆照射したところで、それもまた別のイデオロギーに過ぎないのでは、という疑問は当然ながら沸き起こる。しかしながら著者のスタンスとしてはそういう議論に乗ってこない人間はすべて「あなたがそう思うならそうなんだろうね」と切り捨てて「バカ」としてカテゴライズしてしまうわけで、この本を無批判に受け容れるのは今の自分の立場ではちょっと難しいなと感じたし、俺はきっとこの著者から見ればまあ「バカ」なのだろうな、と思った。

 著者は「ミミズの癖にヘビになろうとするから苦しくなる」と言う。でも自分がイスラームの法学者というある種のオーソリティとして生きている以上、どこかでヘビになろうと思った瞬間があったのではないのだろうか。

 苦しまないことを第一義とするのであれば確かに「ヘビになろうとする」ことはやめてすべてを諦めてしまえばいいのかもしれない。しかし「ヘビになろうとする」営みが目の前の現実を変える可能性は本当にないのか。あるいは「ヘビになろうとしなかった」ことを悔やみ、そして新たに苦しむのが愚かしくも人間だったりはしないだろうか。

 本書を読んで考えたのは、僕たちはその狭間で、欲望や葛藤を抱えながら人生をやりつづけるしかないのだな、ということだった。著者の言う「世界は複雑系であって運や偶然に支配されているのでヘビになろうとしてもムダ」という主張も、自己啓発書が繰り返し唱える「強く思い込むことによって情報空間と現実空間が接続されて現実が変容していく」という主張も、どちらも極端だと僕には思える。結局どちらを取るかということでしかないと思うし、どちらを選んだとしても「バカ」だとは思わない。

 部分部分でふうん確かにそうかもねと共感できるところはあるし、こうした視点の多様性を受け取り、考え方を広げることで自分の生きづらさが少し楽になる人もいるのかもしれない。一神教の信仰を持つ人がなにをどういう風に考えているのかなど、当然信仰のない我々は知らないわけで、そういう部分はなるほどなあと思いながら読んだ。

(2018年 KKベストセラーズ ★★☆☆☆)