春日太一 / 時代劇はなぜ滅びるのか

 図書館で借りて読んだ。申し訳ないがこれはちょっと買わなくてよかった。

 時代劇の変遷をデータで分析・考察していく一章、二章は納得しながら面白く読んでいた。視聴者層を高齢者向けに絞り、若年層を切り捨てた結果が現在の時代劇の没落につながっているとか、利益優先で若手役者を育てるシステムが失われ、時代劇というジャンル内での実験性や、作品の多様性を保つことが難しくなったなど、新鮮味はないにしても妥当な線だろうなあと思った(結局、それらは単に「予算がない」に収束するのだろうが)し、この種のジャンルにありがちな「時代考証」は表現方法の一つに過ぎない、自縄自縛に陥るべきではないというくだりは全くその通りだなと、力強さを感じもした。

 ただ三章以降になると、どうにもこれがトーンダウンする。結局のところ「若い監督・役者・プロデューサー・脚本家の技量も教養もやる気もない」というような愚痴に終始しており、ひたすら読むのがつらかった。演技や配役はどうしても定量的な分析が難しいし、そもそも紙幅もないだろうことは理解しているが、現在の監督のあそこがダメ、役者(しかも実名で)のアイツは大根だからダメ、プロデューサーは配役の見る目がなくてスター起用ばっかだからダメ、あのドラマはこういう配役のはずなのにこうだからダメ、延々とそんな著者の思い入れに基づいた記述ばかりなのでうんざりしてくる。

 それでもがんばって最後まで読んできたコチラとしてはじゃあ結論としてどうすればいいのよ?となるわけだが、その結論が「原点回帰」。つまり「かつてのよき時代劇を!」ということだ。これ、時代劇オタクの居酒屋談義と何が違うのだろうか。結局この本そのものがただのノスタルジーの産物で、時代劇オタクが高齢者の視聴者層に向けて書いているのではないか、と思わざるを得なかった。

 あとがきで作者は「時代劇が輝いていた時代のスタッフや役者たちへの聞き書きを仕事にしている」理由を「「昔はよかった」というノスタルジーに浸るためではない」と書いている。著者の仕事に対する姿勢はそうなのかもしれないが、この本の三章以降は結果的に「かつての時代劇は素晴らしかった、今の連中の作る時代劇はダメだ」ということをひたすら愚痴ってノスタルジーを開陳しているだけでしかなかった。

 業界のことなんて全く知らないが、なんとなく時代劇と聞くと縦社会がすごそうな印象があるし、大御所の監督や役者のような人達にチラチラと目配せして「最近の若い奴らはダメなんですよ、へへ」とごますりで書いたんじゃないかと勘繰りたくなるような本だった。

(2014年 新潮新書 ★☆☆☆☆)