ロベルト・ジョビー / カード・カレッジ・ライター

 ロベルト・ジョビーの『カード・カレッジ・ライター』の完訳。こうした本を翻訳、出版してくれる方々は本当に尊いと思う。僕らのようなアマチュア・マジシャンはいくらギャランティやチップを稼いでいようが、結局やっているのは他人の真似事ばかりで、偉そうなことを吠えていても結局「カラオケボックスで歌が上手」の域を出ないのだなと実感させられることは多々ある。

 閑話休題。スライト・オブ・ハンドを全く使わないトリックが21作品収録されている。読んでいる途中でオーバーハンドのストック・シャッフルを「これはスライトには入らないでしょう」とわざわざ書いてあるのに出くわして「スライトレスの敷居が高すぎるだろう」と思ったのだが、それくらい精選されたセルフワーキングのトリックが収録されている。とりあえずカードをリフル・シャッフルできたりヒンズー・シャッフルできたりする程度の習熟があれば、おそらく全てのトリックを演じられるくらいの難易度である。

 マジシャンという人種はたった数行の解説のためだけに数千円から高ければ数万円を払うという、一般的に見れば非常に奇妙な金銭感覚を持っているが、この本で読むことのできる演技全般に関しての数多くの理論や注釈は、コストパフォーマンスなどという言葉が失礼に感じるほど豊富なマテリアルを含んでいる。

 前巻『カード・カレッジ・ライト』に引き続き、初めて知った原理や演出もあった。前巻は知らなければマジシャンでも追えないような「不可能なカード当て」的な作品が目立っていた感があったが、今回もカード当てからギャンブリング、トライアンフまで、さらなるバリエーションに富んだ味わいの深い作品が収録されている。テーブルでトリックを一つ一つ丁寧に再現しながら読み、幸福な時間を過ごさせてもらった。

 『カード・カレッジ・ライト』と『カード・カレッジ・ライター』の二冊だけでも"夕食後のカード・トリック"には死ぬまで困らないと思うのだが、それでもしょうもないマジックの宣伝動画にだまくらかされ、ときどき無駄遣いするのだと思うと、こういう厄介な趣味に持ったことはつくづく業が深いなと感じる。

 基本的には全てお気に入りのトリックで、おそらく何かの形で演じるとは思うが、最後にとりわけ気に入った作品を3つ書いておく。

The Australian Fives(ロナルド・ヴォール)

 “The Australian Fives” とともにエキゾチックな手続きの助けを借りて、2枚の選ばれたカードが、不思議なことに見つけ出されます。 

  セルフワーキング特有の"エキゾチックな手続き"を使ったトリックにフェティシズムを持っている身としては、コントロールする際のサトルティに「へえ」と唸ってしまった。目の前で見せられたとしたら、おそらくどうやっていたのか分らなかった自信がある。

Double S’Entendre(ケン・クレンツェル)

 マジシャンの関与なしに、2人の観客がそれぞれお互いの選んだカードを見つけ出します。

  もしこれを現代的に解決するのであれば、メモライズドやギミックを使った不可能性の高いソリューションを用いるのだろうが、この極めて図々しい"ほとんどなにもしないことの快楽"に対する魅力は抗い難い。

10-11-12

マジシャンはオープン・プレディクション公開の予言として、1枚のカードを表向きで置きます。観客に3つのサイコロを振ってもらい、出た目の合計と同じ枚数のカードを配ってもらいます。最後に配ったカードと予言のカードが一致しています!

 本書の中で唯一、サイコロジカル・フォース的な要素がある。この原理そのものは『カードマジックフォース事典』を読んでいて(確かアンネマンのアイデアであると書かれていたと記憶している)何かに使えないかとメモっていたのだが、もうこれ以上シンプルにならないだろう。リスクのないサイコロジカル・フォースでオープン・プレディクションというある意味で夢のようなトリック(言い過ぎか)ではないだろうか。

(2018年 小石川文庫 ★★★★★)