糸巻き

 僕は糸を巻きつづけていた。
 なんのために糸を巻いているのか、そもそもこれがなんの糸なのかも僕は知らない。いつから巻いているのか、いつまで巻けばいいのかも僕にはわからなかった。
 それでも僕にはこの糸を巻くしかないようだった。糸を巻くのをやめて、ここから出ていくこともできた。けれども他にすることがなかったし、巻くのをやめたところでどうなるというわけでもなかった。
 糸を巻く手は軽くなったり、ときどき重くなったりした。永遠に回しつづけていられるような気分になるほど軽いときもあれば、両手の指が千切れるんじゃないかと思えるくらい重いときもあったけれど、いずれにせよたいていの場合はなんとなくつづけられる程度の作業でしかなく、さほど負担も感じなかった。

 僕がいつものように糸を巻いていると、あるとき一人の女の子がドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせているのに気がついた。誰かがここにくるのは初めてのことだった。
 女の子は「何してるの?」と不思議そうな表情でたずねた。女の子の視線は、僕の糸を巻く手を追ってくるりくるりと回っている。
 僕は手を止めずに「糸を巻いているんだよ」と答えた。
「どうして?」
 僕は少しだけとまどった。その答えがわからなかったからだ。どうして僕はこの糸を巻いているのだろう? この糸を巻くことに、一体どういう意味があるのだろう?
 女の子は相変わらず、首を傾げながら僕を見つめている。けれども僕にはその答えがわからなかった。この答えがわかる人なんて、たぶんこの世に一人もいないだろうなと思った。
 僕は「わからないな」とほほ笑みながら答えた。
「わからないのに糸を巻くの?」
 思わず糸を巻く手が止まってしまった。女の子のいうことはあたりまえの疑問だったから、僕は「そうだね」とごまかして返事をするしかなかった。今まで僕がしてきたことをすべて否定されたような気分になった。
 女の子は「ふうん……」と何度かうなずいた。

「そろそろ帰らなくちゃ」
 女の子は悲しげに呟いた。それからまた、視線を僕の方に戻すと「ずっと巻いてるの?」とたずねた。
 僕は「巻いてるよ」とうなずきながら答えた。
 女の子は「そう」というと嬉しそうに笑った。それから「またくるね」と手を振り、ドアを出て小走りで離れていった。
 どうやら僕は、この先も糸を巻きつづけなければならないみたいだった。けれども、僕には糸を巻く理由というものができたらしかった。
 僕は糸を巻きつづけている。